この本の中で司馬が読まれたのは、高度成長期の経営者のエゴイスティックな功利主義に、国民国家の壮大な発展に貢献するという位置づけを与えたからだ、という色川大吉の指摘にいちばん納得した。つまり司馬は経営者の功利主義を国家に寄与するものだと思い込ませたのである。国家のために尽くした日本の偉人は私であるという錯覚を与えたのである。罪深い作家である。
もうひとつ明記しておきたい部分は、司馬は軍国主義の反省から小説を書きはじめたというが、戦前は戦争によって国民を踏みつぶしていたことようなことが、げんざいの会社によっておこなわれているという認識がスポーンと抜け落ちているという佐高の指摘だ。これはかなり重要な問題だ。
(中略)
司馬遼太郎は軍国主義を反省しようとしたのかもしれないが、国家主義という枠組みからは抜け出れなかった。国民を踏みつぶす戦前となんら変わらないしくみを批判するばかりか、おおいに称賛する結果におちいってしまった。第二の敗戦の戦犯である。そして会社の中で若者たちや国民を踏みつぶす都合のよいイデオロギーになってしまった。
もうひとつ明記しておきたい部分は、司馬は軍国主義の反省から小説を書きはじめたというが、戦前は戦争によって国民を踏みつぶしていたことようなことが、げんざいの会社によっておこなわれているという認識がスポーンと抜け落ちているという佐高の指摘だ。これはかなり重要な問題だ。
(中略)
司馬遼太郎は軍国主義を反省しようとしたのかもしれないが、国家主義という枠組みからは抜け出れなかった。国民を踏みつぶす戦前となんら変わらないしくみを批判するばかりか、おおいに称賛する結果におちいってしまった。第二の敗戦の戦犯である。そして会社の中で若者たちや国民を踏みつぶす都合のよいイデオロギーになってしまった。